インド-India-
8月20日、私は新千歳空港からインドへ発った。
私の中で前回のインド旅行は完敗だった。5回コールドだった。
このまま引き下がっていいのだろうか。
私は今回リベンジをかけて、再びインドへ乗り込んだ。
今度こそ勝つ・・・

・・・いや、勝つのは無理だ。

せめてしっかり9回まで試合出来たらいいかな・・・って感じで、とにかく私は2回目のインド行きを決めた。


インドへ向かう飛行機の中で、私はずっと考えていた。
「今晩どうしよう」と。

この便は、真夜中の2時にインドに到着する。
・・・それからどうしろと。
朝まで空港に留まるべきか、それともタクシーで街へ出るべきか。
「うーん、誰か同じ旅人いたら一緒に街に出ようかなぁ。
もし誰か気のいいインド人見つけたら家に泊めてくれるかもしれないなぁ・・・」

なんて淡い期待を抱きつつ、いざインドに到着。


デリー-Delhi-
無事に入国審査も終え、ターンテーブルの前で荷物を待つ。

・・・遅い。

・・・いや、けど前にインド来た時も荷物出てきたの最後だったしな、焦っちゃいかんよ。

・・・

空港の職員が、散らばったワゴンを片付け始めた。
「え、荷物これで終わり?!」
「イエス、フィニッシュ」


キター!荷物届かず!さすがインド!やってくれるわ!
早速航空会社のオフィスへ行く。
バックパックの特徴や中身に入っているものを書いたり、
荷物遅延の手続きをとったりしているうちに、もう時刻は午前4時を回っていた。
…今から宿を探しに街へ、という気にはなれない。
というわけで、空港で寝る事にした。

エーッ空港?!と言われそうだが、
インドの空港には「ビジターズラウンジ」という、ちょっとした待合室のようなところがあり、
ガイドブックにも、「遅くに着いたらここで朝を待とう」と書いてある。
無許可でベンチで寝た中国や台湾の空港よりずっといいのではないか。
私は30ルピー払ってビジターズラウンジへ入った。
たくさんの椅子が並んでいて、ツーリストもインド人も、そこに座ってこっくりこっくりしている。
私は肘掛けが3つブチ抜きで破壊されている椅子を見つけ、横になった。

最初こそ小さな物音で目を覚ましていたが、朝気付くと私は椅子に大きなヨダレのシミをつけていた。


寝起きに航空会社のオフィスに行くと、どうやら経由地の香港で下ろされてしまったらしい事がわかった。
荷物が届くまでには時間がかかりそうだったので、宿に届けてもらう事にして、外に出た。

デリーの中心地。
ここはたくさんの安宿やみやげ物屋が立ち並んでいるツーリストプレースだ。
適当に見つけた宿に、とりあえず今晩泊まることにする。
オーナーは、最初125ルピーと言っていたが、100ルピーまでまけてくれた。
そして「ヨシ、100ルピーで決まりだ、おめでとう」と言って私を抱き、頬にキスをしてきた。
何すんねん!!
インドのオッサンには、ハグとキスが好きな奴が多い。要するにスケベオヤジだ。
笑顔で頬をこすりつつ、部屋へ向かった。


ショルダーバッグ1つで一夜明かした翌日、10時に荷物を届けるという連絡が来た。
「…遅い。」
を過ぎてもまだ来ない。
しびれを切らして航空会社に電話をしてみると、「朝ここを出た」と言う。

どこを旅しているんだ、配達屋!!!

1時を過ぎた頃、やっと荷物が届き、速攻シャワーを浴びる。
リフレッシュした後は、少しバザールを見て宿を後にし、駅へ向かった。
この日の夜行で、ガンジス河で有名なヒンドゥー教の聖地、バラナシへ向かう。
今回は、前回のように「full」と言われる事がないように、日本であらかじめチケットを取ってきた。
インド対策バッチリだ。

駅への道の途中、かわいいカバン屋さんがあったので寄ってみた。
この店の兄ちゃんが結構私好みで、これまた色っぽいウィンクをしてくれる。
どこで習ったのか、やけに艶っぽいウィンクをするこの兄ちゃんに少し悩殺されつつ友達へのお土産を調達し、店を後にした。
デリー カバン屋の兄ちゃん
(左)デリーの街。          (右)色っぽいウィンクを持つ兄ちゃん。

前回は、デリーでは旅行会社につかまるわ騙されるわ散々だったが、
今回は、手荷物遅延などの奇襲攻撃にも惑わされず、なかなかいい出だしではなかろうか?
実は、空港で手荷物が出てくるまでの補償金として、3000ルピー(9000円弱)をもらったのだが、
実際ほとんど使っておらず、無事荷物も出てきたうえに、結果的に得をした形になった。
ざまぁみろ、インド。

バラナシ-Varanasi-
バラナシは雨が降っていた。
リキシャの勧めてきた宿は、安い割になかなかキレイだったので、そのまま泊まる事にした。
部屋で一休みすると、丁度雨も上がったようで、私は早速ガンジス河へ向かった。
前に来た時、本当は河に入ってみたかったのだが、体にいくつか傷があり、
感染症とかが冗談じゃなく普通にありそうなところなので断念したという経緯があり、
今回は出来たら沐浴、また地元のチビッ子達と水遊びとか出来たらいいなと思っていた。
ところが、河に着くと、そこには先客がいた。

牛

うーん、さすがに牛と一緒に河に入るのは気が引ける。
そして今は雨季という事もあり、水は以前にも増して濁っていた。
どうやら今回も、沐浴は先送り、という事になりそうだ。

沐浴をあきらめた私は、続いてサシに会いに行く事にした。
サシは、前にここで出会ったおじさんで、途方に暮れていた時にアドバイスをくれた、 ちょっとした恩人だ。
(詳しくは前回の旅南インドの章参照)
サシの家は、音楽教室をやっていて、バラナシでは有名だ。
声を掛けて来た男に、「ミュージックセンターのサシって知ってる?」と聞くと 「マイフレンドさ!」と言って連れて行ってくれた。

サシはそこにいた。
サシは私の事を覚えていてくれて、突然の訪問をとても喜んでくれた。
「どうやってここまで来たんだ?」
「サシのフレンドが連れて来てくれたよ」
「ウチは有名だから、みんな“オレはサシのフレンドだ”と言うけど、
 俺はフレンドなんか一人もいない。インド人には気をつけろよ

・・・そういえば、フレンドとか言っていたくせに、入口まで来ていなくなったな。
アイツ、絶対サシのフレンドじゃねぇ。
しかし、サシと話しているうちに、
「こんな素敵なフレンドと再会出来て嬉しい」「美穂は私の良きフレンドだ」フレンドを連発し始め、
なんか何を信じていいやらわからなくなった。
仕方ない、サシだってインド人だもの。

サシと無事再会を果たした後、私は街中へ繰り出した。
すると、さっきの自称サシのフレンドがまた出て来て、話しながら私に付いて来る。
まぁ気付いたらついて来てるインド男というのは毎度の話だ。
そして気付いたらバラナシ寺巡り観光が始まっていた。

寺で私は初めてヘナをした。
ヘナとは、手や足などに模様を入れる、インドの女性のオシャレだ。
「1ヶ月はもつ」と言われたが、3,4日でキレイに消えた。
寺 ヘナ
(左)バラナシの寺。         (右)ヘナをした手。

自称サシのフレンド男は、いくつかの寺を回った後、帰り道にリキシャの上でセクハラをはたらき去って行った。

夜、私は宿の屋上にあるレストランへ行った。
ここらの宿は、屋上がルーフトップレストランになっているところが多い。
私はレストランの厨房にお邪魔してみた。
そこでは3人のインド人が働いていて、チャパティー(カレーにつけて食べる、薄い生地)を作っていた。
華麗な手さばきで、あっという間に数十枚のチャパティーが出来上がる。
私はチャパティー作りに参加させてもらった。
私のチャパティー作りは、この宿に滞在している間毎晩続いた。
厨房
(上)レストランの厨房

この宿は居心地が良くて、私はいつも屋上で誰かに構ってもらっていた。
屋上で働いている1人のシワは、背こそ小さいが相当のマッチョで、
腕の力こぶのところに巻いた紐がムエタイの選手みたいで私をいつも興奮させてくれた。
そんなシワのいいところは、筋肉を触っても怒らないところだった。←おい
また、毎日宿の掃除に訪れるセカールは、ウルウルした大きな目がメチャメチャかわいくて、
毎日「バーイイイイィィィ☆(バイ:ヒンディー語で弟)」と走り寄っては抱きしめていた。
シワ セカール
(左)マッチョのシワ。服の上からじゃわかんないかな…? (右)私の弟的存在、セカール。超カワイイ

客にも面白い人が多かった。
その中でも特に覚えているのが、マハラジャのような、でっぷり太ったおっさんだ。
相当エライ人らしく、宿の人はみんなうやうやしくしていたのだが、
私は彼から出ている胡散臭さに惹かれ、話を聞いてみた。
「私はサイババの弟子だ」
ほーらね…。
「私はあのマイケル・ジャクソンを助けた事がある」
「どうやって?」
「彼が訴えられて困っていた時、彼は私の携帯に電話をかけてきたのだ。
  それから彼はインドに来て、私にアドバイスを求めたのだ。」
「へぇ…」
「なぜなら私は会った人のプロブレムがわかるのだ」
ここで、宿の従業員が、私もプロブレムを当ててもらえば、と言って来た。
「君はfamilyにプロブレムがあるだろう」
「うーん…」
「君は家族と一緒にいたくないから旅をしているんだね、そうだろう」
「うーん…」
確かに、家を出て1人で何かをしたい、というのは理由の1つだけど、基本的に私はおウチ大好きっ子なので、むしろハズレに近い。
当たっているのか?当たっていないのか?!とせかす従業員を「まぁまぁ」となだめ、彼はさらに続けた。
「君はloveにもプロブレムがあるだろう。ボーイフレンドはいるのか」
「うーん…ボーイフレンドというか、まぁ大事な友達はいますけど…」
「彼は年上だろう」
来た!ハズレ!!「ノー!!!」
すると、ナント彼はこう言った。

「彼はウソをついている」

……それ言ったら何でもありだろうがよー…。さすがインド人。折れない。
他にも彼は、551人の修行僧を抱え、世話をしているとか、
東京の足立区に自分の学校を持ち、ナカムラという人がそれを管理しているとか、胡散臭い話を次から次へと聞かせてくれた。
ツッコミどころ満載の夜だった。


翌日、私はまたバラナシの街へ繰り出した。
すると、昨日の自称サシのフレンド男に再会した。
そして会うなり「昨日俺がした事は誰にも言わないでネ・・・?」と弱気な顔で頼んでくる。
昨日した事?何よ?リキシャの上で人の乳もんでしらばっくれた事か?
堂々と出来ないくらいなら痴漢なんてするなシミったれ。死んでしまえ。

さらに奥へ進むと、小さな男の子が駆け寄ってきた。
どうやら今日のパートナーはこの子、ピンチュになりそうだ。
ピンチュは、14歳と言っていたが、体つきはどう見ても小学生だ。
しかし上手な日本語を話す。本当に上手なのだ。
たいていのインド人は、「ハロー、コニチワー マイフレンド!ドコイクー?」ぐらいなのに対し、
ピンチュは、まず入りからして「どうも。」だった。
そして、どこに行くか私に尋ねるわけでもなく、「じゃあちょっとブラブラしますかぁ!」と(日本語で)言ってきた。
素晴らしい。
私はピンチュと一緒に街を散策し、晩ご飯も一緒に食べて、
火葬場のあるガートや、プージャというお祈りが行われるガートへ行った。
ピンチュはガイド代などは要求しなかったが、
日本のコインが欲しいと言うので、手持ちの小銭をあげた。
すると小銭をもらうなり日本人のツーリストに駆け寄り、「両替する?」と声を掛けていた。オイ!
ピンチュと
(上)ピンチュと、レストランにて。

翌朝屋上に行くと、坊主ドレッド頭、という対照的な2人の日本人が座っていた。
坊主の人はトシさんといい、瞑想をテーマに旅をしている人で、1年近くの予定でインドにいるそうだ。
ドレッドの人はユキヒロくんといい、タメの大学生だった。
頭はドレッドで、東京人で、バイトはカラオケのキャッチコエー!
と思ったら、旅慣れたその風貌とは裏腹に一人旅は初めてで、しかも証券会社に就職が決まっているという、
話し方も物腰柔らかな、超好青年だった。
トシさんと ユキヒロくんと
(左)トシさんと。どことなく悟りを開いていそう。  (右)ユキヒロくんと。ホント誠実なナイスガイだった〜♪

この日は、ターブラーを叩いて過ごした。
ターブラーとは、太鼓のようなインドの伝統楽器だ。
長期滞在者の多いバラナシでは、楽器を始める人が多く、私もちょっとかじってみる事にした。
ターブラーは、指先で叩くか指の腹で叩くか、また、太鼓のどこを叩くかで、全く音が違う。
ターブラーのコードは、「Ge」「Tin」と表し、
この教室を出てからも、しばらくの間「Ge Ge Tin Tin Ge Ge Tin Ta…」と頭をエンドレスで回っていた。
ターブラー自体は結構楽しかったのだが、先生がインド人のくせにマジメな人で、
私がレッスンの時間に遅れてくると、その後しばらく相手にしてくれなかったり
レッスンが終わってすぐ帰ると、翌日「なぜ自主練習して帰らなかった」と怒られたり、
何だか自由を求めてインドに来たのに束縛されてる感満点になってしまい、
私は数日でレッスンをやめた。爆
ターブラー
(上)手前にあるのがターブラー。この写真のピントはどこだろう・・・。右に見えるのが、先生のニラジ。

夜、チャパティー作りをしようと、屋上へ上がると、レストランに2人のネパール人が座っていた。
ネパール語をちょっと勉強している私はネパール人に会えたのが嬉しくて、
これからネパールへ向かう事や、友達が待っている事などを話した。
すると、今日ネパールから着いたと言うナレンは、1枚のメモを取り出した。
そこには、「Miho Araki from HOKKAIDO」と書かれていた。
「え、コレ私だけど?!」
なんと、アルジュン(ネパールで私を待っている友達)はナレンと友達で、 バラナシに行くというナレンに私の事を話していたのだ!
でも、もちろん私がどの宿に泊まるのかアルジュンが知るわけもなく、ましてナレンと会えるかなんて 何の保証もない。
バラナシには腐るほど宿があり、日本人旅行者もウジャウジャいる。
なんたる偶然!

翌日、ユキヒロ君と一緒に、ガンジス河の向こう岸へ渡る事にした。
どうやら向こう岸には、昔の城をそのまま使った博物館があるらしい。
河を渡る船で、船頭は200ルピーを要求してきたが、
私達はすでに「あの船は4ルピーだ」という情報をゲットしていたので強気のディスカウントを試み、
結果、200→4ルピーという最高額の値切りに成功した。

向こう岸では、博物館そのものよりも、私は街の雰囲気が印象に残った。
バナラシは、インドで1番の観光地でもあるため、人も観光客ずれしている人が多いが、
ただ1つ河を挟んでいるというだけで、こっちの人は全然スレていない。
ツーリストも少ないし、のんびりとした雰囲気が漂っていた。
もしこっち岸に宿があるのなら、今度はこっちに宿泊してみたいなぁ・・・。
少年達 向こう岸の風景
(左)クリケットに興じていた少年達と。      (右)向こう岸の町の風景。

宿に戻り、ユキヒロ君は夕方の列車でジャイプールへ発った。
トシさんと一緒にそれを見送り、私達はガンジス河へ夕涼みに出掛けた。
一緒に行ったガートは、これだけ人の多いバラナシの中で、全然人のいない静かなガートだった。
トシさんはとても聞き上手な人で、私の相談を色々聞いてくれた。
しかし、気付くとどこからともなくインド人がわいて来てうるさく話しかけてくるので、
私達は立ち上がり、プージャを見に行き、帰りに1軒のチャイ屋に立ち寄った。
そこで私は初めて素焼きのカップに出会った。
唇にあたるザラザラとした土の感触が何とも不思議で、今までで一番おいしいチャイだった。
素焼きの器
(上)素焼きのカップ。とても温もりがある。

翌日ネパールに発つ予定の私は、宿に帰って荷造りを始めた。
のだが、この晩もチャパティー作りに参加したりしていたので、荷造りを終えたときにはもう既に3時を過ぎていた。
翌日のバスの出発時刻は7時だ。
ヘタに寝ると、起きれない可能性である。
と、そこに丁度よくトシさんが現れたので、一緒に屋上に行く事にした。
屋上までズルズルと布団を引きずり、星空を眺めながら横になる。
空がうっすらと明るくなり始めた頃、どこからか、モスクのお経が響き始め、そして次第に朝日が昇ってきた。
私は半分寝ていたのだが、トシさんが起こしてくれたお陰で、朝日を拝む事が出来た。

そしてそのまま起き、私は宿を発って、バス乗り場へ向かった。



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