スノウリ-Sunauli-
前回同様、朝の7時にネパール行きのバス乗り場に行く。
そこには、日本人が5,6人と、欧米人もそれくらいいた。
今回はバスも大きく、切り捨てられる事はなさそうだ。(前回の旅ネパールの章参照)

同じバスの日本人達は、私はあまり好きなタイプではなかった。
どういうタイプなのかというとよくわからないのだけど、
本能的にあまり好かないというか、とにかく私は一切交流をしなかった。
だって、カロリーメイトは何味が一番おいしいとか、 聞こえてくる話題がしょーもない事ばっかりなのだ。

そういえば、バラナシでターブラーをやっていた時に出会った日本人達は、
「何かインドのおいしい物食べました?」
「いや、それがボクこっち来てお腹壊しちゃって…昨日はスパゲッティかな」
「あはは、そうですよね、ボクもそんな感じッス、エヘヘ…」
「へへへ…」

おいっ軟弱ジパング男児!
…何なんだその力ない感じは!そんな姿見たらオメーの母ちゃん泣くぞ!
…いや、インド行くとか行った時点で泣いてるな。

とまぁそんなのはいいとして、とにかく私は彼らと一切の交流のないまま、
徹夜分の睡眠を補いつつ、スノウリに着くのを待った。

夕方6時を回った頃、国境に着いた。
インドの国境を越え、ネパール側に到着すると、イミグレーションに、アルジュンがいた。
前回爆発的なバイタリティーで私を圧倒した彼だったが、今回は「Oh…やっと来た…」と静かに迎えてくれた。
なんと、朝の3時から待っていたらしい。待ちすぎだって!

無事に入国審査を終え、この日は、アルジュンの姉の家に泊まる事になった。
姉と言っても、ネパールは親戚でも誰でもブラザー・シスターなので、本当の姉ではない。
もうこの際誰でもいいけど、とりあえずディディ(ネパール語で“姉”)の家に向かう。

「ナマステー、ベナ(ネパール語で“兄”)、ナマステー、ディディー」
ベナとディディ夫妻は、笑顔で迎えてくれた。
4人で一緒に揚げ物をつまみながら、お酒を飲む。
長距離移動の疲れもあってか、私は不覚にも酔っ払い、早々に寝てしまった。


翌日、ついに私は腹を下した。
そう、今回の旅は、ここまでインドで腹を下さずにやって来たのだ。
しかし、旅の代名詞とも言われる下痢は、やはり避けて通る事は出来なかった。
運の良い事に、この日は特に予定もなかったのだが、
夜に、ディディ夫妻が、食事に連れて行ってくれる事になった。
ディディの家には、ディディの子供クリスの他に、エニスエリサエネックスという3人の子供がいる。
夫婦で出稼ぎに行き、子供はネパールで親戚に預けているという事らしい。
というわけで、ディディ夫妻とクリス、預かっている子供3人とアルジュン、私、と大所帯で 私達はレストランへ向かった。

ディディとベナは、あれもこれもと勧めてくれるのだが、
私はまだ腹の調子が思わしくない。
というか、実はカナリひどくて、 食べたら出てしまうという、 口から肛門までが1本の管である事を感じさせる事態となっていた。
何も食べない私を見て、ディディは心配してくれるし、
ベナは「楽しんでるか?」と気を遣ってくれるし、いやー申し訳ない
腹の調子さえ良ければもっと楽しめたのに…。
でも、こうしてネパールの一般家庭に紛れ込んで食事するというのは、
なかなか出来ない貴重な体験だし、忘れられない思い出になった。
レストランにて1 レストランにて2 レストランにて3
(上)レストランにて。一番小さい子がディディ夫妻の子、クリス。なまらかわいい。


翌日、私はアルジュンに連れられて、ヒマラヤを仰ぎ見れる街、ポカラへ移動する事になった。
この日、私は腹痛が収まらないのに加え、 まで出してしまい、半ばフラフラでバスに乗った。
今思えば、もう1日くらいディディ宅に泊めてもらえばよかったのだが、
「よそ様の家に長く泊まってご迷惑をかけたら…」という日本的思考により、無理して出発した。
後々、この日本的思考を持つ限り、インド・ネパールでは敗者になるという事に気づくのですが。

半日に及ぶ長距離移動なので、途中でトイレに行きたくなると困る。
というわけで食事は一切とらず、ひたすらバスの中で寝ていた。



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