カトマンズ-Kathmandu-
朝早く起きてカトマンズ行きのバスに乗る。
ポカラからカトマンズまでは、約7時間。
昼食などを入れると、約半日かかる。

夕方にカトマンズに着き、ポカラのダルマインホテル同様、
アルジュンが客を送っている宿へ向かう。
落ち着いた頃にはもう夜だったので、晩ご飯を食べに外に出ただけだったが、
やっぱりカトマンズの、古いお寺が街の中に共存している風景はステキだ。
どこかノスタルジックな灯りに照らされた寺々を見て、
「やっぱりカトマンズがいい…☆」と再確認したのだった。
カトマンズの夜1 カトマンズの夜2 カトマンズの夜3
(左・中)カトマンズの夜。ライトアップされている。真ん中の写真は、街中の何でもない寺。(右)お肉屋さん。首までおいてあります。


翌日は、早速カトマンズに住むアルジュンの友達が遊びにやって来た。
今回会った友達は、前回会った友達ばっかりなので(ヤンキーフレーバーズ)
割と気負いする事なく、楽しむ事が出来た。
この日は、バイク2台で、パタンという古都とボダナートという チベット仏教の総本山の寺を回った。
ボダナート2 巨大マニ チベタン信者達
(左)ボダナート。ネパールの寺には、目がついている。
(中)ボダナートにあった巨大マニ。
(右)ボダナートは、マニ車を持って寺の周りをグルグル回る信者で常に溢れている。
※マニとは、1回まわすと、1回お経を読んだのと同じだけ徳を積めるという仏教のアイテム。
  写真のような巨大なものもあれば、寺をグルっと囲んでいるのたくさんのマニを1つ1つ回して歩いたり、
  右の写真のように手持ちのマニ車と呼ばれるものもある。

この日もまたアルジュンの運転だったのだが、彼は遂に事故った。
十字路に出る時、左右確認をしないで飛び出し、直進してきたバイクと衝突したのだ。
明らかにこっちが悪いと思われるのだが、
「どこ見てんだコラ!」(みたいな)捨てゼリフを吐き、
背後から交通整備員のピピピという笛の音が聞こえつつも、巻いた。
今回は、幸いお互い無傷で何ともなかったから良かったけど、
…あーいつか私絶対死ぬ

宿のあるタメル地区から外を見渡すと、小高い山の上に、寺が見える。
その寺は、スワヤンブナート、別名モンキーテンプルと言って、
まぁその名の通り猿がいっぱいいる寺である。

ある朝私達は、その寺へ向かおうという話になった。
「歩いて15分だから」というアルジュンを信じて歩くのだが、 全然15分じゃない
朝ご飯も食べないで、眠たいところを頑張って歩いている私は
(アルジュンはメチャメチャ早起きで、毎朝5時には叩き起こされる
だんだんイライラが募ってきた。
しかも寺は山の上のため、心臓破りの石段を登らなくてはいけなかった。
ありえない
低血圧の私にこんな階段、朝食ナシで上れなんて…。
寺に着き、とりあえず近くの屋台で朝食を取ったのだが、
私は昨日の荒い運転にウンザリしていたのも重なって、 「もうコイツに観光は頼まない…」と、半ばシカトを決め込んでいた。
心臓破りの階段 マニ車
(左)心臓破りの階段。(中)マニ車が寺を囲んでいる。不機嫌のためカメラ目線にも応じず。

のだが。

私達の向かいのテーブルに、坊主が二人座った。
どうやら近くに僧院があるらしい。

「……(ハート)」

東南アジアの章をお読みの方はおわかりの通り、私は坊主が好きです。
大好きです。
そしてこの坊主二人はまたどこか日本人ぽくて、でもネパール人ぽくて、
とってもオリエンタルでステキだったのです。

「…アルジュン、女の人がお坊さんと話してもいいのカナ…♪」
急にアルジュンに愛想ふりまいてみたりして、坊主との交流を試みる。

アルジュンは人見知りをしないというか人懐っこいというか、
あっという間にこの坊主達とも意気投合してしまい、 ナントこの坊主達は、彼らの僧院に私達を案内してくれた。
50人の坊主部屋に突入!
私にとってそこは夢の部屋、 まさに桃源郷であります。(言いすぎ)

下は3、4歳くらいの“まだママが恋しいんじゃないのかな…?”というような子から、
上は生きてるのか死んでるのかわからないくらいヨボヨボの爺さんまで、
坊主はよりどりみどりに揃っていた。
読経の途中で太鼓やシンバルみたいな楽器を鳴らすのが面白くて、
私は部屋の端に座り、ずっとずっとそれを眺めていた。

そして昼頃、彼らはお昼ご飯の時間なのか解散になり、 さっきの二人の坊主がやって来てこう言った。
「じゃあ、写真でも。」
お前が言うんかい!
私は、こういう神聖な人達にカメラを向けて良いものなのか、 ずっと言い出せずに悩んでいたのだ。
しかも、「メールアドレス教えてくれる?」
というわけで、坊主とメル友になりました。
いいのか?こんな俗世に精通した坊主…。。。
僧院1 僧院2
(左)ホントにかっこよかった…。ちょっと日本チックでしょう?友人玲ちゃんは、「EXILEで踊ってそう」とまで言った。
(右)坊主達は、並んでこの机に座り、読経する。

別の日に行った時に撮影。坊主に会いたいがために、結局3,4回スワヤンブナートには通った。
坊主ジュニア1 坊主ジュニア2 モンキー1 モンキー2
(左・中左)小さい坊主クン。けど目つきはキリッとしててカッコイイ。(中右・右)モンキーテンプルというだけあり、猿だらけ。 やけに普通に撮れた猿(笑)と、親子猿。

坊主に心満たされた翌日、私はダクシンカリへ向かった。
ダクシンカリの寺には、生き血を好む神が祭られていて、毎週2回、ヤギやニワトリの生贄が捧げられるらしい。
ヤギの首がはねられるのを見るのは生々しくて怖いけど、
やはり怖いもの見たさというのは抑えきれず、私は生贄のある日を狙って、そこへ向かった。
が。
寺に着いた時、既に生贄は姿かたち無く消え去っていた。
どうにもこうにもネパールというのは早起きで、
みんな朝の早い時間に生贄を捧げ、昼前には後片付けが済んでいるらしい。
というわけで、結構長い道のりを暴走バイクではるばる来たのに、 残念ながら見る事が出来なかった。
ダクシンカリ
(上)ダクシンカリの寺。真っ赤な寺で、ちょっと雰囲気あった。・・・生贄見たかったなぁ〜。

ダクシンカリの帰り道、私はパタンに寄るようにアルジュンにお願いした。
カトマンズに着いてすぐに1度行ったのだが、
その時は無常にもデジカメのバッテリーが切れてしまい、 パタンの綺麗な風景を収める事が出来なかったのだ。
そしてパタンへ向かうと…こんな事になっていた。
普段のパタン レディースデイ パタンの塔
(左)普段のパタン。                   (中)この日のパタン!              (右)パタンの中にある塔。お気に入りの写真。

どうやら今日はアルジュン曰く「Lady's Day」なんだそうで、
女の人はみんな赤いサリーを着て、お寺に行くのだそうだ。
そういえば、ダクシンカリへの道でも赤いサリーを着た女性の集団がやたら目についた。
彼女達は、既婚の女性は夫とのさらなる幸せを、
未婚の女性は良い旦那に出会える事を祈りに寺へ赴き、
お祈りをすると共に、寺の回りで踊りを披露したり、要はちょっとしたお祭りなのだ。
偶然にもそんなお祭りに遭遇出来て嬉しかったのだが、
パタンは既に身動きが取れない状態になっている。
普段こそ奥ゆかしいネパール女性達だが、この日ばかりは赤い集団となって街を占拠している。
道路のド真ん中を横に広がって歩くので道は渋滞し、
場所によっては通行止めになっているところもある。
ドライバー達にとっては牛なみに厄介な交通障害でもあっただろう。

しかしまぁサリーに身を包んだ女性達は、本当に綺麗だった。

<ある日のご飯集>
食事2 食事3
(左)チベット料理の「モモ」。小龍包のようなシュウマイのような・・・とってもおいしい。
(右)ネパールの定食、ダルバート。右の豆スープをかけて、他のおかず(タルカリ)を混ぜ、手で食べる。

翌日も精力的に観光をこなす。
この日は、ヒンズー教最大の寺院、パシュパティナートへ向かった。
パシュパティナートは、観光客は250ルピー払わなくてはいけない。
私はネパール人だから無料だなと思ったのだが、 しっかり入口で呼び止められた。
…250ルピー。大体500円といったところ。
ネパールの物価からすると、相当高い。
日本の感覚からすれば、1時間分の時給にもならない額だけど、
ネパールに来ると、真剣に悩んでしまう。
入るか入るまいか、敷地の外をウロウロしてると(入れよ)、 アルジュンがナント裏口を発見した。
建物と建物の隙間から、ちゃっかり中に入れるのだ。
いけない…と思いつつも私達はスルリと中に入り込んだ。

しかし、いつ見つかるかと思うとハラハラしてしまい、 結局パシュパティナートの中はあまり覚えていない。
確か、川が流れてて(ガンジス河の支流らしい)、火葬場があった。
奥に寺があるようだったが、そこまで行く勇気はなかった。
…裏口から入ってみたものの、基本的にヘタレなので、どうにも落ち着かないのだ。
そんな挙動不審な私に気づいてか、川辺にいた牛に頭突きされた
今まで、牛の真横を通る事は何度もあったけど、牛に危害を加えられる事は全くなかった。
アルジュンには「何で牛に近づくんだよ〜」と笑われたが、
絶対ヤツから寄ってきたって!!
…というわけで、頭突きもされた事だし、結局あまりよくわからないまま
パシュパティナートを去る事にした。
パシュパティナート1 パシュパティナート2
(左)パシュパティナートはガンジス河と同じように、火葬場がある。(右)だいぶヤンキー化してる私。

カトマンズに来て1週間くらいしただろうか。
ある日私は急な寒気に襲われた。
ここから私のカトマンズ停滞期が始まった。
最初は「旅に出たら熱出る事もよくあるさ〜」と軽く考えていたのだが、 薬を飲んで安静にしていても治らない。
毎朝5時に起こされるのが良くないんだきっと。
アルジュンに「体調悪いから、明日はゆっくり寝かせて」とお願いすると、
OKモチロンだよ、明日は午前中ゆっくり寝ていいから!」と言われたのに、
朝の8時にはベッドから引きずり出された。 彼的には、酌量の余地はあったらしい。
…こんな生活だから体調壊すんだ…。
けど、私自身、ちょっと薬が効いて調子が良くなったらすぐに外に出て
買い物とかしちゃってたから、それも良くなかった。

だって、宿のあるカトマンズの安宿エリア、タメル地区には、 それはそれはカワイイお店がたくさんあるのだ。
服もカバンも雑貨も、本当に何でも揃う。
チャイハネがそのままここにあるのだ。
しかもツーリストエリアなのに安い。しかも値引きも結構効く。
前回もタメル地区は見つつも全く買い物の時間がないままに終わってしまったので、
今回は気が済むまで買い物するつもりだったのだ。

…まぁそんなこんなで体に無理をさせていた結果、事態はさらに深刻になった。
熱が下がらないのに加え、ノドが痛くなってきた。相当痛い。
食べ物を食べる事が出来ないのだ。ツバを飲むのも痛い。
毎日部屋に来るヤンキーフレーバーズ達に相談すると、
「塩を入れたお湯でうがいするといい」と教えてくれたので、 1時間おきぐらいの勢いで実践した。
ネパール版イソジンも手に入れて、それも使用した。のど飴も買った。
が、3日ほど経っても全く良くならず、まともに食事が出来ずに弱り気味になってきた私は、
ついに旅行人生初の、病院行きを決めた。

ご飯1 ご飯2 ご飯3
(左・中)ヤンキーフレーバーズはよくおいしいチャパティーを買ってきて、私の部屋のベッドの上で食べた。
(右)風邪をひいたある日の食事。トゥパ(チベットの麺料理)と、風邪に良い(らしい)チキンマッシュルームスープ。

病院、と言っても、ネパールのローカル病院は他の病気をもらいそうで怖いので、
ガイドブックに載っている外国人向けの病院へ向かった。
病院はとても清潔でしっかりしており、
私の加入していた損保ジャパンとも提携があるという事で、 キャッシュレスで治療が受けられる事になった。ラッキー。
やはり保険というのは入っておくべきだ。
病院では、日本語を話せる通訳も常駐しており、先生も信頼出来そうな白人のお医者さんで、
「ノープロブレム」とか言い出しそうな某I国とはだいぶ異なる感じだ。
診察では、風邪だけでなく、マラリアや肝炎、腸チフスの可能性まで調べてくれた。
結果全て陰性で、やはり体力の低下から来る風邪のようだった。
私は今まで飲みながらのカラオケでも、体育大会で1日大声で応援しても 絶対につぶれない強いノドが自慢だったのに、
扁桃腺がボッコリ腫れてしまったらしい。

という事で、原因こそわかったものの、ここはネパール
処方されたのは、既に購入済のノド飴のみだった。
…保険でお金が下りるという事で、たんまりもらってきたけどね…。
ついでに、「どうやったら早く治りますか?」と質問すると、
「熱いものはノドの炎症を悪化させる危険性があるので、避けた方が良いですね」と言われた。
あれ?!お湯でうがいとか言ってなかったか?!
おい、どうなってるんだ、ネパールの民間療法!!

風邪で衰弱しつつも、私は薬が効いて楽になるたびに街へ出ていた。
それくらい私はカトマンズの風景が好きだった。
というわけで、カトマンズの街角スナップ。
街角スナップ1 街角スナップ2
(左)果物屋さんがたくさん。            (右)ネパールのおじさんは、いつ働いてるのかわからない。


<最後の日の夕暮れ>
夕暮れスナップ1 夕暮れスナップ2 夕暮れスナップ3 夕暮れスナップ4
(左)私の大好きな「カトマンズ色」。        (中)カトマンズのお寺は、人々の憩いの場。            (右)かわいい子供達・・・と思ったら、手、リンチしてやがる!!


観光と、風邪でウダウダしているうちに、
気づいたらそろそろインドに戻らなくてはならない日が近づいてきた。
すると、どうやらヤンキーフレーバー達が、お別れ会を開いてくれるらしい。
「野郎ども、集合だぜ!」という感じで(私にはそう思える) 10人近いヤンキーフレーバーが集まり、盛大な飲み会が始まった。
しかし、私はまだノドの痛みが収まっておらず、ほとんど物を食べる事が出来ない。
冷たいものもノドにしみるので、お酒もあまり飲めず、 ひたすらぬるいレモンティーとのど飴でしのいでいた。
お別れ会1 お別れ会2
(上)お別れ会。結構みんな飲んでいた。ってかホント野郎ばっかり・・・。

店を出て、解散かと思いきや、ほろ酔いのヤンキーフレーバーズは、
「美穂にカトマンズの夜景を見せてやろうぜ!」と盛りあがり始めた。
どうやら、山の上に建つスワヤンブナートに向かうらしい。
こんな夜に。…時刻はもう12時近い。
飲酒・ノーヘルのヤンキーフレーバー達と私は、 バイク4台で連れ立ってスワヤンブナートへ向かった。
暗く寝静まった街に、ドルンドルンとバイクのエンジン音を響かせて、
私達のバイクはどんどんと山を上っていく。
途中、この前出会った坊主達が生活している僧院の横も通った。
…あぁ、ごめんなさい、もう寝ているのにこんなうるさくして…。

寺に着くと、夜警がいて、寺には入れないと言ってきた。
夜間は立ち入り禁止なんだそうだ。
…そっか、じゃあ帰るしかないね。ここまで連れてきてくれたみんなの気持ちだけで十分…
「うるせーよ昔は入れたんだよ」

というわけで彼らは夜警を押しのけ、「美穂、行くぞ」と、強引に寺に侵入した(涙)。

夜の寺は、もちろん誰がいるわけもなく、静まり返っていた。
目的のカトマンズの夜景は、実際それほどすごいものでもなかったのだが、
(多少やり方は荒いけど) ここまで私にしてくれる、こんな友達をネパールに持てた事が嬉しくて、
カトマンズは気持ち良く去れそうだな、そしてまた来たいな、と
カトマンズの街の明かりを眺めながら、ここでの日々に思いを巡らせた。
夜景1 夜景2 夜景3
(左)夜景を眺める私。夜景一切写ってない・・・。(中)寺の像に乗ったり。サミールと。      (右)誰もいないお寺で、ヤンキーフレーバーズと。


体調の方もだいぶ良くなってきたという事で、
私とアルジュンはカトマンズに別れを告げ、ネパールのスタート地点、スノウリに戻る事にした。
スノウリではまたディディの家に泊めてもらう。



ディディの家へ   旅一覧に戻る