ルンビニ-Lumbini-
家に帰ってきた翌日、私達は、ルンビニへ向かう事にした。
前回ネパールに来た時に、25kmの道のりをリキシャ に揺られて2時間かけて行った あのルンビニだ。
(詳しくは前回の旅ネパールの章参照)

今回そこへはバスで向かった。
バスだと、30分かそこらで着いた気がする。
ガタガタ揺れるオンボロバスだったけど、リキシャよりはカナリ快適だった。
バス
(上)ルンビニ行きのバス。降りる時は、天井を叩く。

前回も少し書いたが、ルンビニはブッダ生誕の地という事で、
世界各国の仏教寺院が並んでいる。
が、タイの寺も中国の寺も、実際現地で見ちゃってるし、前回同様やはりあまり興味がない。
というわけで別に私は来なくても良かったのだが、
アルジュンが仏教徒という事で、ルンビニ抜きにネパールは語れないらしい。
別に寺にまつわるエピソードとかは特にないが、ここに載せる写真を探していたら こんな写真が見つかった。
doggy motty
1枚目は、狛犬とアルジュン。
私は、アルジュンの事をよくdoggyと呼んでいた。
顔もなんか犬っぽいし、性格も犬っぽいのだ。
国境でツーリストを待ち構え、声をかけて旅行会社へ連れて行くという仕事をしている彼は 本当に人懐っこく、
ツーリストを見つけて「ハロー!ハロー!」と走り寄って行く姿は
飼い主が帰宅したらしっぽを振りながら 「ワンワンワン!」と玄関に走っていく犬の姿にそっくりだし、
とにかくバイタリティーに溢れていて、
突然大雨が降り出した夜、「ミホ、雨だ!雨だ!!」と雨が好きな彼は 海パンに履き替えていきなり外へ飛び出してしまった事がある。
その姿はもう「雪やこんこん」の、喜んで庭を駆け回る犬そのものだと思った。
余談だが、アルジュンの 話っぷりは本当に脅威だ。
四六時中しゃべっているので、彼のある友人は 「あいつはCNNか」と言うし、
アルジュン本人も「俺はtoo much speakだから、俺と会ったツーリストは、 1日目は“英語が上手だね”ってsmileだけど、
2日目にはtiredで、 3日目にはmadになるんだ、ハハ」
と言っていた。
そんな彼と半月近く一緒にいた私は本当にすごいと思った。

というわけでdoggyと呼んでいた一方、彼は私の事をmottyと呼んでいた。
2枚目の写真は、大黒様を見るなり 「ミホにそっくりだー!」と大喜びして撮らされた写真である。
mottyとは何かというとモタウヌボの愛称で、
モタウヌボとは、ネパール語で「太った」という意味である。
私は、風邪でノドを荒らすまでの間、動けないけど食欲はある、という日々が続き、
病床にも関わらず、日に日に太っていった。
そしてついた愛称が、mottyなのだ。
それに加えて、よく「kachuwa(カチュワ)」とも呼ばれた。
これはネパール語で「カメ」という意味だ。
アルジュンがいつもワンワン走っているのに対し、私はゆっくり景色を見ながら歩くため いつも置いて行かれ、
そのたびに「オイ、モッティカチュワ!」と言われた。
何となく「モッティ」も「カチュワ」も、響きがカワイイから、私は好きだったけれど、
後々よく考えてみると、これって日本語に直すと
「おい、うすのろデブ!」とかそんなんじゃないだろうか?
ひ、ひどい…。

とまぁそんなこんなで今回もそれほど印象のないままルンビニを去り、
最後の数日は、ディディの家でゆっくり過ごす事にした。


家に帰ると、ディディと子供達が、笑顔で迎えてくれた。
本当にネパールの子供達はかわいい。
私は今回、出発前に、アルジュンから子供のいる家に泊まる、と聞いていたので、 ちょっと日本からお土産を持って行っていた。
1.シゲキックス
2.わたパチ
3.シャボン玉
4.割れないシャボン玉みたいなやつ
5.食べられるシャボン玉

今回これらのお土産は全て大ヒットした。
シゲキックスとわたパチは、ネパールにはこういうお菓子がないようで、
少し食べると「友達に自慢するんだ!」と言って、 通学カバンに大事そうにしまいこんでいた。

シャボン玉関係は、私は絶対にウケる自信があった。
なぜなら、だいぶ前に、母の里帰りで大阪に行った時、
暇つぶしにと、割れないシャボン玉を持って公園に行ったところ、
「お姉ちゃん、何してん?」と、小さい子供達が寄って来て、 大いに盛りあがったという記憶があったからだ。
大阪の子供達にウケるものがネパールの子供達にウケないわけがない。

と、筋が通っているのか通っていないのかよくわからない自信と共に持っていったが、
やっぱりウケた。
相当ウケた。
子供達はなかなかうまく作れないので、私が作り、
子供達は出来あがったシャボン玉を追いかけて、キャッキャと騒いでいた。
子供達はネパール語しか話せなくて、英語という手段すらない。
でも、ちょっと何かがあると、言葉なんてなくても、しっかり時間を共有出来た。
子供達と1 子供達と2 子供達と3
(左)みんな本当に人懐っこくてかわいかった。(中・右)私の髪を留めるクリップ。使用法が違うが、ちょっと流行ってた。


前回のスノウリでは、アルジュンの友達と一緒に一晩飲んだ。
今回も、その友達と会う事になり、私達は前と同じレストランへ向かった。
彼はユバラジといって、インドでズタボロになってネパールに来た私に
「ミホは俺の妹みたいなもんだからな、またいつでもおいで」と言ってくれて、 来て早々に「ネパール最高!」と思わせてくれた人だ。
今回は、ユバラジの叔母さんも私を待ってくれているという事で、
何で待たれているのかよくわからないんだけれども、まぁとにかく向かった。

おいしくないロキシーと、スクティというバッファローの干し肉をつまみながら、
私達は半年振りの再会を喜び合った。
他にも何人ものアルジュンの友達やユバラジの友達が顔を出してくれた。
ポカラやカトマンズで会う人は、ヤンキーフレーバーな友達や ホテルの従業員、観光客相手の客引きが多かったけど、
ここで会う人達は、みんな家族的な温かさを持っている。
ディディの家もだし、ここも。
観光地なんて何もないし、言葉も通じないし宿も少ないし、
ネパールに来るツーリストのほとんどは、カトマンズやポカラへの通過点として 素通りしてしまう街だけど、
私は、ネパールの旅の中で、一番心が休まったのは、ここだった気がする。
スノウリ1 スノウリ3
(左)飲み。白いタンクトップを着ているのがユバラジ。(右)赤い花柄の服を着ている人が、私を待っていてくれた叔母さん。

いよいよインドへ戻る日が近づいてきた。
最後の日は、ディディの家でゆっくり過ごす事にした。
ディディは全く英語を話す事が出来ず、 私達は言葉でのコミュニケーションはほとんど取れなかった。
でも、ディディは本当によく私の事を気遣ってくれて、
いつもおいしいチャイを出してくれたし、お昼にはダルバートを作ってくれた。
私も何かしたいのだけど、特に料理が出来るわけでもなく、一芸あるわけでもない。
食器洗いくらいはさせてもらったけど、他は子供の相手くらいしか出来ず、
私は最後にみんなに千羽鶴を折った。(ありがち)
今度行く時は、日本の食材持ちこんで、何かご馳走してあげたいなぁ…。
ディディ宅にて2 ディディ宅にて3 ディディ宅にて4
(左・中)泣いても何してもかわいいクリス。(溺愛)                       (右)宿題をしているキッズ達。

お別れの時、ディディはいつもの素敵な笑顔で送り出してくれた。
子供達も、「マイジュ、また来てね!」と手を振ってくれた。
マイジュ、というのは「(親戚の)叔母さん」というような意味で、
子供達にとってアルジュンは、「アルジュンママ(アルジュン叔父さん)」で、
どうやら私は子供達のマイジュになってしまったようだ。
けど、なんかそれも嬉しい。
マイジュ、また来るからねー!忘れないでねー…!
ディディ宅にて5 ディディ宅にて6 ディディ宅にて7
(左)ディディと。ホント居心地の良い家でした。(中・右)ディディの家の、居間とキッチン。

笑顔で家を出て、アルジュンと国境へ向かう。
家を出て歩き出したら、自然に涙が出てきてしまった。
なんかちょっとウルルンのエンディングのような気分になってしまった。。。

あぁ、ホント、人の温かさに触れるって、素敵な事だなぁ…。

バラナシ-Varanasi-
いよいよネパールに別れを告げる。
ネパールとインドの国境を越えると、ゲートひとつくぐっただけなのに、
ネパールとは明らかに違う、インドの景色が広がっている。
アルジュンは、一番ネパールに近いゴラクプルという駅まで送ってくれる事になった。
そこまでは、車で3時間ほどかかるのだが、私達は助手席に乗った。私
そう、私達はタクシーのような乗用車で向かったのだが、
後ろの座席にはお肉たっぷりのおばさん達が5人もギチギチで乗っていて、
私とアルジュンで、1つの助手席を半分こしたのだ。
3時間もお尻半分が座席からはみ出た状態でいるのはつらかったが、
もうここはインド。仕方あるまい、ノープロブレム。

ゴラクプルに着き、アルジュンとも別れの時間が迫っている。
今回アルジュンは、私のネパール旅行の最初から最後まで、ずっと付き合ってくれた。
彼のあまりのバイタリティーに付いて行けず、何かと衝突する事も多かったし、
野郎ばかりとつるんでるせいか不器用でガサツで、イライラする事も多かったけど、
彼なりに優しくしてくれたのはすごく感じたし、
また、彼の底抜けに明るくてノー天気な性格は、何かと自分に自信を持てない私には刺激的だった。
何より、彼のお陰で、 普通のツーリストは見る事知る事が出来ないネパールを垣間見る事が出来たし、
ゴラクプルでの別れの時は、本当につらかった。

アルジュンは、私の寝台の席まで荷物を運んでくれた。
ネパールは鉄道が走っていないため、アルジュンは列車を見て大喜びしていた。
「すげー、オレ鉄道って人生で3回くらいしか乗った事ないよー!」
アルジュンの目が、小さい子供のようにあまりにキラキラ輝いているのを見て、 私は思わずこう言ってしまった。
「じゃあ一緒に乗ってく?」

「Yeah!!」
色んなネパールを見せてくれたアルジュンに、ちょっとしたお返しだ。
ついでに、インドに行った事がほとんどないにも関わらずインド人を毛嫌いする彼に、
実際のインドを見て欲しいなとも思った。
ホント、インド人とネパール人は、隣国ながらお互い嫌いあっている。
インド人曰く「あいつらはpoorな田舎者だ」
ネパール人曰く「あいつらはdirtyでcheaterでどうしようもない」
…というわけで、まぁ私に言わせればチョンチョンな気もするのだが、 インドの悪口言うのはインドを見てからにしろ、というわけで、
私達は別れの日をちょっと延長して、一緒にバラナシへ向かった。
キラキラアルジュン
(上)生まれて初めての寝台で、なまらいい笑顔をするアルジュン少年。


バラナシではナレンと再会し、アルジュンと3人でプージャを見に行ったり、
夜のボートに乗ったり、適当にダラダラと過ごした。
私はきっとアルジュンはガンジス河を見て感動して、 またキラキラを見せてくれると思ったのだが、
「意外に小さいな、この河」「きったねー!」
・・・というわけで、「やっぱりインドはdirtyだ」という意見を確固たるものにしていた。
そういえばウケたのが、
インドに入って速攻、アルジュンがお腹を壊した。
そして「あぁ、インドの食べ物が当たった…」と言うのだ。
なわきゃねーだろ、旅行者じゃあるまいし。
ってかネパールとインドの国境で暮らしているうえに 毎日ネパールでどこの水やらわからないもの飲んでるじゃないか、君。
壊す時はインドでもネパールでも壊すんですよ。
病は気から、と言うが、本当に彼の断定具合にはウケてしまった。
バラナシ1 バラナシ2
(左)ガンジス河で体を洗うインド人。確かに河、dirtyですね・・・。(右)バラナシを去る日に見た夕焼け。ちょっと幻想的だった。

そして今度こそアルジュンに別れを告げ、私は1人、南の都市ボンベイへ移動する事になった。
駅での最後の別れは本当に悲しくて、お互い涙モロい者同士、泣いてしまった。
そして駅のホームにいるインド人は、みんなそれを見ていた
テレビを見るように、ジーっと見ていた
最後にバイバイを言って、列車に乗りこむと、速攻
「あれはボーイフレンドか」 「あれはネパーリか」 「お前はジャパニか」
「どこへ行くんだ」 「バナナいるか」
と、列車の中から見ていたインド人の質問攻めに遭った。
本当に、感傷に浸る暇すら与えてくれない…。

夜の12時頃列車は走り出し、それと同時に私は深い眠りに落ちていった。
深すぎて、起きた時は翌7時だった。寝過ぎだろう。


ボンベイ-Bombay-
列車に乗って30時間ほどが過ぎ、早朝4時頃、私はボンベイに到着した。
なぜボンベイに来たのかというと、前回インドに来て、シルディという村で出会ったみんなが、(詳しくは前回の旅南インドの章参照)
今ボンベイで働いているという事で、再会しにやって来たのだ。

駅でしばらく待っていると、前回一番親切にしてくれたカランが迎えに来てくれた。
カランはシルディにいた時と比べ、ヘッドホンとかして、 ちょっと垢抜けた都会っ子になっていた。
今回は、カランの家に泊めてもらえる事になっている。
ボンベイは、物価がとてつもなく高く、1泊が1000ルピー前後になる事も多い。
いやー助かるなぁ、宿があると…
「Sorryミホ、今日は家に別の友達が来てfullだから、ホテルに泊まってくれ」
ナニー!
えー…やだよぅ高いもん…と思いつつも、どうしようもないのでホテル探しを始める。
けど、地元民のカランが探してくれるから、きっと安めのいい宿が見つかるはず…

ところが、いくつホテルを回っても、満室続きで全然部屋がない。
最初こそOK〜とか言っていたが、いい加減雰囲気も悪くなってきた。
そのうちカランは、「シルディに行くか?」と言ってきた。
どうやらボンベイにいるのはカランだけで、他の仲間はシルディにいるらしい。
私はよく状況が把握出来ず、どっちの方が都合がいいのか尋ねるのだが、
カランも意志が定まっていないようで、
時に「シルディの方がいい」と言ってみたり、 時に「ボンベイに泊まるべき」と言ったりする。
私が100%招待される側の気分で、何も考えずに来たのも悪かったが、
カランもボンベイに来い来い言ってたわりにはあまりに無計画で、 私は次第にイライラしてきてしまった。
すると、カランはそんな殺気立った私を感じたのか、
「シルディの方がいい!」と言って、シルディ行きのバスに私を詰め込んだ
一緒に行くのかと思いきや、カランは仕事があると言い、
「後はシルディにいる兄ちゃんに伝えておくから!」と、手を振っている。
どうなってるんだ??

バスに乗ると、すぐに車掌がやって来て「200ルピー」と言う。
「え、ノー…」
実は私、持ち金が200ルピーもなかった。
ボンベイでお金を下ろそう下ろそうと思ってるうちに、バスに詰め込まれてしまったのだ。
あ、けどカランは私がお金持ってないの知ってるから、
、 きっとお兄ちゃんに伝えておいてくれてるはず…!
「シルディに着いたら友達が払ってくれるから…」 と言って、私はバスに無銭乗車した。

夜の12時頃、バスはシルディに着いた。
「Where is your friend?」
「アレ…?」
シルディのバス乗り場には、誰もいなかった
「い、今連絡します…」
私は、シルディに住むカランの兄、デワに最後の有り金をはたいて電話した。
デワはびっくりした様子で、お金を持ってそこに行くから待っていろ、と言ってくれた。
“乗車運賃を払えない上に身寄りのない娘”インド人から哀れな目で見られること数十分、
デワは、寝る直前のような格好のままで、バス乗り場まで来てくれた。
「デワぁぁぁ、ありがとうぅぅぅ」
心細くて、私は半泣き状態でデワに抱きついた。

夜中の1時、以前泊まったデワの働くホテルに着く。
はた迷惑な日本の小娘は、こうしてやっと寝床についたのだった。

翌日、前回仲良くなったホテルのレセプション、サンギータが起こしに来てくれた。
サンギータは、英語が話せないが、とっても愛嬌があってかわいい。
私の唯一の女性のインド人友達だ。
一緒にご飯を食べ、髪の毛を縛ってもらったりして遊んだ。
ちょっとみんなと会って話すともう時刻は昼過ぎで、私はまたボンベイに帰らなくてはならない。
そう、この日の深夜にタイへ発つのだ。

実際みんなと過ごしたのは若干数時間で、私はまた慌しくバスに乗りこむ。
こうして私はみんなに迷惑を振りまくだけ振りまいて、 ボンベイへとまた9時間の道を戻った。
シルディ1 シルディ2
(左)真ん中にいるのがデワ。お世話になりました・・・。(右)サンギータと。背景の絵は、シルディ名物サイババ。

途中、バスが全く動かなくなった。
渋滞かな?と思ったが、1時間たっても1mも動かない。
いつもならそれほど焦らないけれど、今回は飛行機が待っている。
台湾againはもう絶対イヤだ。(前回の旅台湾の章参照)

隣の席に座ったインド人のおじさんに聞いてみると、
「この先にある橋が崩壊して通行止めになっているんだ」と言う。
なんだその漫画みたいな話は!
どうやら今は迂回路を一方通行で使っているらしい。
というわけで対向車線はどんどん車が流れていくが、一向にこっちに順番が回って来ない。
もう2時間近くたつ。
「この後どうなるの?」
「nobody knows....」
あーくそこれだからインドは!
飛行機にノープロブレムは通用しないんだよー!!!

と、荷物をかついで道路を走ろうかと思っていた矢先、やっとバスが動いた。

そこからはスムーズに進み、私は無事、時間前に空港に着く事が出来た。
最後までハラハラさせてくれるな、インド…。

そして私は、約1年ぶりのタイへと向かう。



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