タイ-Thailand-

Delay、delay…の放送が続き、早朝5時頃、やっと飛行機はボンベイを発った。
あーやっと寝られるよ…

と、眠りにつく直前、私は親友なっこの言葉を思い出した。
「キャセイって、ハーゲンダッツ出るらしいよ〜」
…どうやら、このキャセイパシフィック航空は、 「お腹がすいたから何かありませんか?」と注文すると
ウラ特典として、ハーゲンダッツが出てくるらしいのだ。

ハーゲンダッツは、私の中でアイスの王様だ。
スーパーのアイス半額デーでも、ハーゲンダッツは除外品だし、
あんな小さいカップなのに250円もする、あの高級感は 文句なく私の中でご馳走の部類に入る。

…というわけで、別にお腹はすいていなかったが、早速フライトアテンダントを呼ぶ。
「ちょっとお腹すいちゃったんですけど、 何か小腹満たすようなモノないスかね?」
「…申し訳ございません、 当機は、そういったものは特に何も用意しておりませんで…」
…チッ。ないのか。
まぁいいや、じゃあ寝よう……。

うとうとしかけた頃、私はフライトアテンダントに起こされた。
「お腹がすいていらっしゃるという事で、ご朝食を先に お持ちいたしました」

えー、いらない…!

私は、実はあまり機内食が得意ではない。
ビーフとかフィッシュとか選べるからちょっと嬉しい気分にさせといて、
結局頼んだらどれもっこかったり、野菜が味なしだったり、 ケーキがパサパサだったり、
フルーツが乾燥してるうえに何なのかよくわからなかったり…。
別に機内食を否定するわけじゃない。
飛行機の上でご飯が食べられるだけバンザイだ。
…つまり、私が言いたいのは、
私はアイスが食べたかっただけで、 機内食を早朝から食べるつもりなど 毛頭なかったのだよ。という事だ。
…とはいえ、既にお盆を持って目の前で微笑むフライトアテンダントを前に、
「アイスじゃないならいらな〜い」とか そんなガキんちょみたいな事は言えない。
私は仕方なく受け取り、睡魔と胸ヤケと戦いながら、意地で食べた。

そしてお昼前頃、タイに着陸した。
入国審査を通過し、空港の外に出る。
この時私は、入国審査の列で声をかけてきた、 イギリス人のケースという兄ちゃんと一緒にいた。
私はここからバスでカオサンに出ようと思っていたのだが、 ケースが、一緒にタクシーに乗ろうと言う。
タクシーは高いので遠慮したのだが、
彼は朝から酔っ払っていて、入国審査で並んでいる時からカナリのハイテンションを見せており、
「HA HA!! Don't worry!! Let's go go go〜〜〜ヒャーハハー!!」 みたいなノリで有無を言わさず乗せられてしまった。
タクシーの中で、彼は自分の泊まるホテルの住所を教えてくれた。
「もう会う事はないな…」と思いつつ、 私はそれをメモして、ラッキーな事にお金も時間もかけずにカオサンに到着した。

早速宿探しを始める。 炎天下の中、背中に10キロ手に10キロの荷物を持ち、
カトマンズのタメルで買い物し過ぎた事を若干悔やみつつ、安宿エリアをうろつく。
予算は100バーツ(300円弱)だったのだが、安宿エリアという割にはなかなか見つからず、
私は結局150バーツ(450円弱)の部屋に決め、荷を下ろした。
シャワーを浴びて、早速散歩がてら、カオサンを歩く。
さすがバックパッカーの聖地と言われるだけあり、 世界各国からのツーリストがうじゃうじゃいる。
…うじゃうじゃいるんだけど…

私は、ここで一種の孤独感のようなものを覚えた。
というのは、ツーリストはたくさんいるんだけど、そのほとんどはグループつがいで、
私のようなひとり者がいないのだ。
どのレストランも友達同士ワイワイやっているので1人だと入りづらいし、
こんなに人がいるのに、話す相手もいなければ、行く場所もない。
もちろん探せば1人のツーリストもいるんだけど、
こんだけツーリストだらけの場所で声をかけるのも、何かキッカケがないとかえってしらじらしくて出来ないのだ。

そんな私のとった行動は…
「Oi, dai!! Ma nepali hu!! Thimi nepali hoina?? Thimilai kasto cha!!」
「Oh bahini!! Sanchai cha!! Ani thimilai??」
…と、カオサンで働くネパール人を目ざとく見つけ出し、 ネパーリコミュニティーに居場所を見つけていた。

そういえば、初めてタイに来た時は、
日本人よりちょっと濃いめのタイボーイが、 それはそれは私の心を躍らせてならなかったのだが、
今回タイに来ても、タイボーイに対するときめきがない。
ときめきがないというか、もう タイボーイと日本人の区別があまりよくつかないのだ。
たまに「あっ★」というような人を見つけると、
それは相当濃いタイボーイか、 もしくはタイに来ている出稼ぎのインド人orネパール人だった。
…どうやら、長くインド・ネパールを旅していたため、 好みのタイプにもそれなりに影響が出たらしい。

もう1つ、タイに来て感じた事があった。
「食べ物うめぇ…!!!」
インド・ネパールの「マサラ圏」は、とにかくスパイシーだ。
フルーツジュースにまでスパイスを入れちゃう彼らの料理は、
時に異国の歴史と文化を感じさせてくれる重要なアイテムでありつつも、
どっちかというと苦しめられる事が多かった。
しかし、タイに来てマサラ圏を脱出すると、なんと食べ物のうまい事か
初めてタイに来た時は、パクチーの香りやタイ米の風味が全くダメだったのに、 味覚もだいぶ狂ってきているらしい。

と、そんなこんなでちょっと孤独を感じつつも、タイの無マサラ料理に舌鼓を打って、 1日目は終わった。

カーオ・マン・カイ スイーツ おかゆ
(上)タイの無マサラ料理。左はカーオ・マン・カイという、鶏肉入りのご飯。
   真ん中は、タイのスイーツ屋台。カップに入れてその場でお召し上がりor直接袋に入れてテイクアウト。
   右は屋台のおかゆ。ほとんど無味なので、右にある調味料セットで自分で味付けする。


タイ2日目は、今までの疲れが出たのか、昼頃まで眠った。
それからスクンビット通りへ行ってみる事にした。
スクンビット通りとは、1本の大きな道路で、 その道路からはたくさんの小道(ソイ)が出ており、
例えば「ソイ2〜5はアラブ人が多いエリア」とか、
「ソイ55周辺は、おいしいレストランや屋台が多い」というように、 各ソイごとに特徴を持っているらしい。
早速トゥクトゥクを拾い、運ちゃんに「スクンビット!」と言う。
が、何度言ってもわかってもらえない
「だから、スクンビットだってば、スクンビット!!」

すると、後ろから、「大丈夫〜?」と日本語で声をかけられた。
彼は白人だった。ので、本当は彼が日本語を話している時点で突っ込むべきなのだが、
私は「もぉ〜大丈夫じゃないよぉ〜…」普通に日本語でグチをたれ、トゥクトゥクをあきらめてその場を後にした。

そして、その後道を歩いていたら、彼にまた再会した。
今度は英語で、「さっきはどうしたの?」
「行き先を行ってもあのオッサン理解してくれなくてさ…」
「OKそれじゃオレと一緒にタクシーでそこに行こうよ」
「えっでもタクシー高いし…」
「心配しないで、オレが払うから。オレ今日何もする事なくてさ!」
「あ、はァ…」
というわけで、彼に言われるがままに、私達はタクシーに乗りこんだ。
どうやら今回はタクシー運があるのかもしれない…。

彼は、イスラエル人で、名前はケラちゃんといった。
「Everybody called me ケラちゃん, so call me ケラちゃん」 というわけで、本名は忘れてしまった。
彼は、つい数日前まで日本を5ヶ月間も旅していたのだそうだ。
日本を旅するツーリストというのはあまり会った事がないし、
ケラちゃんは日本が大好きだ〜というが、日本の一体何がいいのかよくわからんし、
ちょっと珍しい人に出会えたな、という感じで、私達は通りを歩きながら話に花を咲かせた。

道端に座ってアイスを食べたり、 ミュージックショップを見つけてタイのヒットソングのテープを買ったり、
レストランでちょっと早めのビールで一杯やったりしつつ、私達は時間を潰した。
…実は、私がスクンビット通りに来た真の目的は、夜にあり、なのだ。

「ところで、ミホはどうしてスクンビット通りに来たかったの?」
「スクンビット通りからはソイっていう小道がたくさん出てて…うんぬん…
で、実はね…ナナ・プラザっていうのが見てみたいんだよね」


ナナ・プラザ。 ナナ・プラザは、バンコク第2の歓楽街と言われている。
まぁ、日本でいう歌舞伎町のような、すすきののような。
要は、男性諸君がちょっと喜んじゃうような、 お色気系のお店が建ち並ぶエリアだ。
本当はバンコク1の歓楽街、パッポンに行ってみたかったのだが、
どうやらナナ・プラザの方が初心者向けというか、健全で行きやすい、 という情報を入手し、
私は果敢にも1人でナナ・プラザに乗りこもうとしていたのだ。
すると、ケラちゃんは
「NO!!!女の子が1人で行くようなところじゃないよ!」と驚き、
あまり気が乗らないようだったが、私を1人で行かせるわけにはいかない、と 同伴してくれる事になった。

話を聞くと、実はケラちゃん、昨日ナナ・プラザに来たらしい。
宿の人達に 「プール(ビリヤード)しに行かないか?」と誘われ、着いた先がここだったそうだ。
要は、プール(ビリヤード)というのは、そういう意味の隠語なのだ。(わかったかな…?)

ナナ・プラザに近づくにつれて、だんだん雰囲気が変わってくる。
ナナ・プラザ付近のレストランやバーでは、 中年の欧米のオッサン達の横に、若いタイ人のお姉ちゃんが座っている光景が目につく。
ケラちゃんの説明によると、夜のお相手の交渉をしているのだそうだ。
おぉ、本格的に風俗っぽいぞ…♪

私達は、一緒にナナ・プラザに入った。
ナナ・プラザは、たくさんのお店がテナントのように並んで入っており、 いわば、風俗店のデパート、といった感じだ。
全員スクールユニホーム姿の、日本人のおっさんウケしそうなお店や、
番号札のついたビキニを着て、ステージの上でくねくね踊っているストリップ系のお店など、 色々な店を覗き見る事が出来た。
(ちなみに、もしお気に入りの子を見つけたら、番号を言って指名し、一緒に飲んだり、お持ち帰り したり出来る)
しかし、まだ時間がちょっと早いらしく、お客の入りもそれほどじゃないし、
あちこちで、化粧に励む女の子たちが見られる。

私はその雰囲気だけで結構満足したのだが、
ケラちゃんは、私に「ピンポンショー」を見て欲しいと言う。
昨日連れて来られて、それを見せられショックを受けたのだそうだ。
ケラちゃんは、ナナ・プラザに通い慣れているっぽいオッサン達に話かけ、 どこでピンポンショーが見れるかを聞いてくれた。
その結果、それはパッポンに行けば確実に見られるという事がわかった。
というわけで、私達は、なんとバンコク1の歓楽街、パッポンへ向かう事となった。
ナナ・プラザ1 ナナ・プラザ2
(左)ナナ・プラザのネオン。これは裸のお姉さんのネオンなんだけど…ブレてる。
(右)ナナ・プラザは真ん中が吹き抜けになっている。札幌ファクトリーとか、イオンの構造と似てる。
手に持っているのは、旅友達まなっぺから20歳成人の誕生日にもらった、 「ゴーゴーバー(タイの風俗店)に行けるよチケット」。

パッポンに到着し、私達はタダでショーが見れるという店に入る事にした。
その店では、全裸のお姉さんが、やる気なくステージの上で踊っていた。
あまり内容を描写するものなんだが、多分みんな興味があると思うので そこそこに説明しようと思う。

ショーでは、お姉さんがステージの上に横になり、“穴”を利用して、色々な技を見せる。
(あぁ、こんな事書いてていいのか、私…)
例えば、サッカーの応援で使うようなラッパを挿して音を出したり、
煙草を挿して煙をプカプカ出して吸ってみたり、
…逆に言うと、アイテムが色々替わるだけで、基本は一緒だ。

私達はこれ以上見るとお金が必要、と言われて店を出た。
結局“ピンポン”ショーは見れなかったのだが、 要はピンポン玉を入れて、お客さんに飛ばすというショーで、
何度も言うように、基本は一緒なので、見なくてももう満足だ。
ちなみに、他にもダーツを飛ばしたり、瓶のフタを開けたり、バラエティは色々あるらしい

パッポンから帰ってきた私達は、一緒に晩ご飯を食べる事にした。
ケラちゃんは、日本で買ってきた日本酒を、わざわざ持ってきてくれた。
私達は近くの公園で、屋台で買った串焼きを広げ、日本酒を片手に イスラエルの話、日本の話と、尽きる事なく話続けた。
カオサン
(上)カオサンに戻り、ケラちゃんと晩ご飯を探していた時に撮った、カオサンの夜。っていうか、 ケラちゃんの写真、撮ってない…涙。

公園には、ちょっとワルっぽい若者のグループがいくつかタムロっていた。
絡まれたらどうしよう、と思っていたら、12時になった瞬間に、
メンバーの1人が誕生日だったらしく、ハッピーバースデーの歌が聞こえてきた。
「かわいらしいじゃないか!」と思って 「Happy birthday!!!」と声をかけると、 なんとバースデーケーキを分けてくれた
タイの若者、いいじゃない★

と、そんなこんなで気づけば日付も変わり、日本酒もちょうど瓶が空いたので、
私達はおひらきにして、それぞれ宿へ戻った。
…一時は孤独を感じ、どうなるかと思ったカオサンだったけど、
やっぱりどうにかなっちゃうもんだなぁ…。


翌朝、朝ご飯を求めてカオサンをうろついていると、タイ人のおばさんに声をかけられた。
「何でそんなボロボロのサンダルをはいているの?!」
…私はこの旅でずっと、100均で買ったサンダルをはいていたのだが、
旅も終盤になると、完全にブッ壊れ、ガムテープで補強してはいていたのだ。
そして、これがきっかけで、おばさんと一緒に朝ご飯を食べに行く事になった。
各国でその国の人と交流している私だが、地味にタイ人とはあまり縁がなく、 私は喜んでついていった。
おばさんと
(上)声をかけてきたおばさん2人と。

近所の屋台の席につき、麺をすすりながら、おばさん2人と話し始める。
どうやらこのおばさん達は、日本に来た事があるらしく、英語と、日本語も少し話す。
内1人は、日本のスナックで働いていたようで、話の流れから、
「私が働いていたところのママが、手紙を送ってくれたのだけど、 私は日本語があまり読めない。
あなたは英語が上手だから、訳してもらえないかしら?」
と言ってきた。
どうやら朝ご飯はおごってくれたようだし、それくらいの恩返しならしたい。
「いいですよ〜。で、その手紙は?」
「私の家に置いてあるのよ。タクシーで15分くらいだから、ちょっと来てもらえる?」
家かぁ…。
ちょっと躊躇したが、タイなら街にも人にも秩序がある(インド比)
というわけで、私はおばさん2人と共に、タクシーに乗った。

タクシーで15分というが、30分たってもまだ着かない。
タイは、渋滞がひどいのだそうで、「昼の1〜3時以外は渋滞」らしい。
…それにしても遅いなぁ…ちょっと怪しいなぁ…

やっとタクシーは、ちょっとお金持ちっぽい住宅街に着いた。
何となく嫌な雰囲気を感じ始めた私は、手紙を訳したらさっさと帰ろうと思いながら 家に入った。
「で、例の手紙は?」
「あ、今私のお母さんが外に持ち出してるみたい。
すぐに戻って来ると思うからちょっとそこに腰かけて待ってて」

えー…なおさら怪しい
すぐにお茶を出してくれたが、私は口をつけなかった。(睡眠薬を警戒)
そうこうしているうちに、ナントおばさんの1人が、 「アラ、仕事の時間」と言って、いなくなった。
アンタが頼んで来たんじゃん!!!
すると、この家のお父さんが出てきた。
おじいちゃんというべき年齢のこのパパは、上手な英語で迎えてくれた。
「ずいぶん英語上手ですね」
「若い頃、オーストラリアでカジノのディーラーとして働いていたんだ」
カジノ…何か聞いた事があるような…
「じゃあ、待っている間、 ブラックジャックのエキシビジョンを見せてあげよう」
…ブラックジャック…

思い出した!!!
ブラックジャック詐欺!!!

タイをはじめ、東南アジアで注意しなければいけないものの1つ、ブラックジャック詐欺。
ガイドブックの後ろの、よくあるトラブルのページに載っていたのを思い出した。
どんなものかというと、
まず、何かしら理由をつけて、家に呼ぶ。
         ↓
ブラックジャックをして遊ぶ。
         ↓
そのうち、イカサマで勝つためのサインなどを教えられる。
         ↓
サインを覚えた頃、「いいカモになる金持ちがいるから、 一緒に金を巻き上げよう」と持ちかけられる。
         ↓
そのカモと一緒にブラックジャックを始める。
         ↓
もちろん自分のお金を掛け金として出す。
         ↓
最初は相方のサイン通りやると儲かるが、次第に負け始め…
         ↓
最終的には有り金を巻き上げられる。
(もちろんあっちはグル)                  …というもの。

いやー、インドを抜けて来たら、3回目のタイなんて何でもないとナメていたが、
本当にこういうのって潜んでいるんだなぁ…

警戒というよりはやや感心に近い気持ちになっていると、
気づけば目の前に、トランプ用としか思えないようなミニテーブルがセッティングされている。
おじさんはトランプを配り、ブラックジャックのルールを説明し始めた。
もう1人のおばさんが私の横につき、それを補足してくれる。
私は、ここでイキナリ席を立つのも怪しいので、とりあえずやる事にした。
私がルールを理解した頃、案の定いかさまサインの説明が始まった。
「私がアゴをかいたら9、腕時計を見たら10…」
ひと通り練習をして、私もだいぶサインを覚えてきた。
うーん、この次は「いいカモがいるんだ」だ。
さすがにカモのところまで連れ出されたら、ちょっと状況はきつくなるなぁ…。
おじさんが、「よし、これで俺たちは大儲け出来るな!」と言ったと同時に、
私は「けど私、ギャンブルは興味ないんだよね。 っていうか、手紙が来ないなら、 この後私、友達と会う約束してるから…」と切り出した。
すると、そうかそうかと言って意外にあっさり引き、すぐにタクシーを手配してくれた。

数分後、タクシーがやって来て、おばさんと一緒にカオサンまで戻る。
…結局この人たち、何がしたかったんだろう?
もしかして本当に手紙を翻訳してほしくて、 なのにたまたま手紙がなくて、
時間潰しのためにおじさんが気を利かせて ブラックジャックを見せてくれただけだったのだろうか?


帰り道も渋滞しており、どうやら高速道路を使う事になったようだ。
…ってか、高速道路が使えるくらいの距離走ってたんだ?!

無事カオサンに着き、おばさんに別れを告げる。
…大した危機は感じなかったし、無事帰って来れたし良かったんだけど、
ホント何だったんだろうなぁ…。

今回のタイ滞在は、ストップオーバーなので
(タイで飛行機を乗り換える際、72時間まで無料で途中降機出来るシステム)
今日が最後の日になる。
私は日中はカオサンをぶらついて過ごし、夜はネパール人と飲んで最後の夜を飾った。
サニーと
(上)カオサンで見つけたネパール人サニー。

翌朝は飛行機の出発時間が早いため、6時のバスに乗る事になった。
朝早く起きられる自信がなかったので、 私は寝る前にドアに「6時前になっても起きて来なかったらノックして!」 とメモを貼って寝た。
そして案の定私はノックで目が覚めた。
そして、「バスがもう来てるよ!」という声と共に、 裸足で道路に飛び出した。
裸足で駆けちゃうのは、サザエさんだけじゃない。
車の中で靴をはき、身支度を整える。

そうして、私は3日間と短かったが色々濃かったタイを発ち、最後の経由地、香港へ向かった。




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